『日本』令和8年4月号

四月号巻頭言「辞世」解説

堺事件の烈士・箕浦猪之吉(みのうらいのきち)辞世の絶句である。「洋氛」は西洋からもたらされた災ひのこと。猪之吉は名を元章、号を仏山といひ、その家は土佐藩にて崎門望楠軒流の学問を伝へ、猪之吉も儒を以て前藩主容堂の侍読(じとう)を務めた。

慶応四年(一八六八)二月、鳥羽・伏見の戦ひの後、新政府は大坂周辺の治安維持を諸藩に命じ、土佐藩兵は堺を警備することとなり、猪之吉はその六番隊長として駐留してゐた。同月十五日、フランス軍艦「デュプレクス」の水兵数十名が、無断で堺港に上陸し市中を徘徊して狼藉を働いた。通報を受けた猪之吉は隊を率ゐて出動、フランス兵に退去を求めたが言語が通じず、フランス兵の一人が土佐藩の隊旗を奪つて逃走した。これに対し土佐藩兵は発砲して銃撃戦となり、フランス側は十一名の死者を出した。

事態の拡大を恐れた新政府は、土佐藩に賠償金の支払ひと猪之吉等責任者の処刑を命じて収拾を図つた。堺の妙国寺で最初に切腹した猪之吉は、フランス側代表に向かつて「我ここに死するは汝等の為にあらず、皇国の為なり、汝等日本男児の切腹を見よ」と大喝、刃を十文字に突き立て、臓腑を掴み出したところで首を打たれた。時に年二十五。以下十一名の壮絶な自刃を見たフランス人は、色を失ひ座を立つた。

(松本 丘)