『日本』令和7年9月号

九月号巻頭言 「弘道館記」抄 解説

ここでは、弘道館の設立された目的を記してゐます。よくよく考へてみると、日本といふ国は、天照大神が「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」を下されて以来、一貫して、この「神皇の道」によつて発展してきました。皇統はこの道によつて永遠に続き、国柄は尊く厳おごそかになり、国民は日々の生活が安定し、外国の人々すら従ふやうになつたと記します。

明治二十二年、大日本帝国憲法が発布された頃、起草の中心人物伊藤博文が、憲法が発布されれば立憲政治となり、日本の国体が変更されると云ひ出します。これに対して起草者の一人金子堅太郎は弘道館記の「宝祚(ほうそ) 之(これ)を以て無窮、国体之を以て尊厳」の一条を引き、政体は変はるが、国体は変更されないと反論。大議論となりましたが、伊藤博文は金子氏の意見を理解し、国体の尊厳が保たれたことがありました。

その意味でも、この一条が果たした役割は大きかつたと云へるでせう。 (久野勝弥)