9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和5年9月号

   家族が一緒に暮らせる社会づくりを

 ロケス・メリー・ジョイ /(フィリピン)


私はフィリピンのネグロス島から来ましたジョイと申します。

私は今、愛知県豊田市にあるオイスカ中部日本研修センターで働いています。同僚の女性たちは、子育てをしながら働いていて、本当によく頑張っているなあと感心します。ほとんどの子どもたちは小学生になっていますが、少し前まで、彼女たちは幼稚園、保育園や子ども園などに子どもたちを預けて仕事に来ていたそうです。日本では〇歳児からでも預かってもらえると聞いて驚きました。日本は、お母さんが外に働きに出ていても、安心して子どもたちを預けられる環境が整っている点がフィリピンとは違っています。もちろんフィリピンにも幼稚園はありますが、三~五歳児を朝九時から三時まで預けられるだけで、朝早く、あるいは夕方遅くまで対応してくれることはありません。日本は子どもの福祉の面で恵まれていると感じます。

フィリピンでは、「ヤヤ」と呼ばれるお手伝いさん、あるいはベビーシッターのような仕事をする女性の存在に頼ることが多いです。家事や子どもたちのお世話をヤヤに任せて、母親は外に働きに出ることになります。お手伝いさんやベビーシッターと聞くと、日本の感覚では、かなりのお金持ちの家庭にいるイメージを持たれるのではないかと思います。しかし、フィリピンの場合、中流の家庭では、ヤヤを雇うのはごく普通のことです。商売をしている家などでは、住み込みのヤヤを雇ったり、学生を下宿させながら、子どもの世話や家事を手伝わせたりすることもあります。

問題なのは、自分自身がヤヤとして海外に働きに出なければならないお母さんが多い状況です。中東やシンガポール、香港などに多くの女性がヤヤとして出稼ぎに行き、国に置いて行かざるを得ない子どもたちの世話は、自分の両親や姉妹に頼ることになります。 フィリピンでは小学校から英語で教育を受けますから、私たちは普通に英語を話せます。そうした面で、外国で働くことへのハードルが日本人よりも低いのかもしれません。また、男性は船乗りとして海外の船に乗って家族から離れているケースも多いです。子どもたちを養うためには仕方がないこととはいえ、家族がバラバラになっている状況が多く見られるのです。おじいさん、おばあさんは、お母さんやお父さんと離れて暮らす孫たちを不憫(ふびん)に思い、甘やかすこともあります。出稼ぎに行っている親からは十分な仕送りは届くのかもしれませんが、親から直接の愛情を受けずに育つ子どもたちが多いこの社会は、これからどうなるのか不安に感じます。

反対に日本では、親ではなく子どもたちが家庭を離れることで家族がバラバラになっているのを感じます。早い人は進学を機に、また就職、結婚などを機に自立、あるいは独立という形で家を出ていくと聞きます。先日、ある方の自宅に招かれ、山村の小さな集落を訪問する機会がありました。地域にはほとんど若い人がいない状況で、大きな一軒家に年配のご夫婦だけが住んでいる世帯ばかりで愕然(がくぜん)としました。独立していった子どもたちは、年老いた両親が住んでいる実家に戻ってはこないのでしょうか。時々は顔を見に、あるいは孫の顔を見せに帰って、両親と話をしているのでしょうか。とても気になりました。

ところで、私の島はサトウキビ栽培がさかんで、多くの人が砂糖産業に従事しています。一時期、砂糖の国際価格の暴落により、ネグロスは「飢餓の島」と呼ばれるほどに困窮したことがあり、オイスカはそれを機に、ネグロスに新しい産業を広めようと、養蚕(ようさん)を紹介しました。多くの日本の養蚕農家さんが技術者としてネグロスに行き、またネグロスの若者が日本の養蚕農家で技術研修を受け、現在ではフィリピンが輸出する生糸の九割ほどをネグロスで生産できるようになりました。養蚕が普及したことで、山に住む人たちが都会や海外に出稼(でかせ)ぎに行かなくてもよくなりました。自宅の近くに桑を植え、自宅で蚕(かいこ)を飼育する養蚕は、家族みんなで協力して取り組めるものです。母親は機織(はたお)りの仕事もするようになり、家庭の収入を支えられるようになりました。生活が豊かになること以上に、家族が一緒に幸せに暮らす環境を作れたことが活動の成果だと思います。オイスカでは、この活動をネグロスにとどめず、ほかの島や地域に普及させています。

日本でも、フィリピンでも、家族が一緒に暮らせる環境が増えることを願っています。