9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和5年12月号

 令和五年の回顧と今後の課題

 永江太郎 /(一財) 日本学協会顧問


今年もまた内外共に多難な年であつた。三年続いたコロナは感染症法の第五類に格下げされたが、未だに終息の気配はなく、むしろ第九波が懸念されてゐる。ウクライナ事変も同様である。戦ひはいづれ終はるにしても、米国とNAТOが軟着陸を期待して軍事援助を抑制してゐる現状では予見が難しい。軍事情勢が劇的に変はるとすれば、早くても米国のF16戦闘機などの実戦配備以降であらう。同時にプーチン・ロシアの反撃も予断を許さない。

十月には、中東のガザでハマスの蛮行に対する国際的対応が求められてゐるが、人質問題にしても武力進攻にしても、あくまで局地の紛争であり、ウクライナを第一線とする対ロシア戦争とは比較できない。

一方、国内問題といふより中国問題であらうが、福島の原発汚染水の処理をめぐる中国の異常な反応がある。日本政府が決定した処理水の海洋投棄は、適正であると国際社会が容認してゐるにもかかはらず、中国だけが異を唱へて、日本の海産物の輸入禁止といふ異常な反応をして外交問題化しようとした。その意図は不明であるが、流石に追随する国が一つもないといふ失態を招いた。習近平政権は全く予期できなかつたのであらうか。しかし、十月にはロシアも追随すると発表した。

最近の中国は、領海の範囲を勝手に拡げた新しい地図帳の発行など周辺諸国の反発を無視して自国の独善的な考へを強要しようとする内的思考が強い。この様なあからさまな対外姿勢は、外相や解放軍トップの唐突な人事も含めて、習近平政権の内部で何かが起こつてゐる兆しではあるまいか。孫子の兵法に学び一帯一路などの戦略的思考を得意としてゐる中国にしては、お粗末である。

戦狼外交で行き詰まつた中国政府が、事態収拾のため日本政府に何らかの譲歩・協力を求めてくるかも知れないが、一方的に始めたものは一方的に止めればよい。融和的対応は、今後の日中関係に有害である。一部の漁業関係者は譲歩を求めるかも知れないが、当面の利益に目がくらんで対中貿易の危険性を忘れた自らの不明を反省すべきであらう。風評被害と言つても触れ回つてゐる元凶は中国である。岸田内閣には断固たる対応を期待したい。日本の不快感を表明するには、新型コロナを第五類に編入した機会に「武漢コロナ」へと名称を変更するのも一案であつた。

さらに、世界戦略では卓越してゐると自画自賛してゐる中国も、その尊大な独善性から未熟な部分が少なくない。海洋戦略はその代表的な一例で、少なくとも軍事的視点では中国に海洋戦略の知見があるとは思へない。最近の南東太平洋への進出も、単に大東亜戦争における日本海軍の南太平洋方面の作戦構想を模倣してゐるやうに見える。


戦後最大の懸案としての憲法改正について

我が国当面の問題は、主権回復後七十余年を経ても未だに混迷してゐる最大の要因、諸悪の根源たる現行の占領憲法を放置してゐることである。(かつて憲法学者と称する某東京大学教授の『憲法学』を読んでも、その法理論を理解できなかつた筆者が、憲法を論じるのは僣越かもしれないが、)ここでは一般常識で国家基本法の要件に欠けてゐると思ふ部分を指摘してみたい。

経済の復興だけを見れば、戦後の国際情勢の変化までを見通された昭和天皇のポツダム宣言受諾の御判断は正しかつたことが証明されてゐる。しかし、終戦直後における米国の対日占領政策を見ると、阿南大将の憂慮がむしろ正しかつたと言つて良い。神道指令に始まる占領軍の日本弱体化政策は、教育や社会全般の変革を要求したが、それは君民一体の家族国家といふ我が国の国体の根底にある文化や価値観の破壊を試みたもので、そこには国家としての日本の存在まで否定したい意図が秘められてゐた。それを明文化したのが現行憲法である。

まづ国際社会における独立国の政体は、君主国か共和国の二種類である。同時に国家を代表する元首は、君主国では世襲の皇帝や国王などで、共和国は選挙で選ばれた大統領といふのが常識である(中国などの独裁国家を除く)。

我が国の元首は、その呼称「天皇」(emperor)から、国際社会では戦前も戦後も一貫して元首として処遇されてゐるが、現行憲法第一条はそれを認めず象徴としてゐる。憲法起草の根拠とされたマッカーサー・メモには、「ヘッド・オブ・ステイツ」と明記されてゐるので明らかに意図的であるが、その目的は君主国を否定したかつたからであらう。これは象徴を国家元首としてゐる国は世界に存在しないことや、統治権とは何かを知らないで、憲法草案の起草に関与した関係者が犯した誤りであらう。

多くの国家は、独裁を避けるために国家の主権である統治権を、立法、行政、司法に分けて三権を分立し、その三権の長の上位に元首を戴いてゐる。内閣総理大臣は君主国における内閣即ち行政府の長であり、国家を代表してゐるのはあくまでも元首である。

これらの国際常識を無視したのが日本国憲法であるが、まづ日本といふ呼称にも問題がある。即ち君主国(王国)か共和国かといふ国家の基本たるべき国体が不明確にされてゐる。これはイギリスやオランダ、スペインの君主国(kingdom)やドイツ、フランス、イタリアなどの共和国(republic)の例を見ればわかるやうに民主国家論や主権在民論とは無関係である。この分類では、憲法に基づいて天皇が在位してゐる我が国は、当然ながら君主国である。

次は、憲法第二章で戦争放棄を宣言し、更に陸海空軍その他の戦力を保持しないといふ制約まで設けて、国家存立の基本である安全保障を無視してゐる事である。

国防力無くして、自国の国民を他国の暴力から守れるのか。ウクライナに国防力が無ければ今頃どうなつてゐたのか。しかも軍備には、装備品の製造やその習熟に時間が掛かるといふ現実がある。現実の平和は、バランス・オブ・パワーの上に成り立つてゐるのである。無防備平和主義は、この現実を無視した正に空論で、学生の討論会ならばともかく現実の国際政治には絶対に適用できない。この現実を無視してできるかの如く主張するのが、憲法学者を含む我が国の護憲派であるが、一体何を企んでゐるのであらうか。

武力で侵略しようとする大国が、いくら平和や友好を唱へてゐても、侵略した国と国民を隷属・屈従させて、その国富を収奪するのが目的である。かつてロシアに兄弟国と称して併合支配されたウクライナが、今甚大な被害にも拘らず抵抗を続けてゐるのは、実際にその体験をしたからである。


今後の課題

まづ自然界では、すでに温暖化に起因する山火事が世界中で起こつてゐる、これに地震が加はれば正に天変地異である。最近の日本でも、線状降水帯と称する大雨が頻発して生活基盤を蝕んでゐる。地球温暖化は今後益々深刻になるであらうが、ここまで悪化したのは、ノルマで当面の利益を最優先にしたロシアと中国の二大国による地球汚染であることを忘れてはなるまい。人口問題も同様で、世界の人口はすでに飽和状態に達してゐるが、無為無策で中国以外どこも真剣に考へてゐない。我が国の少子高齢化も深刻で、労力を移民で補ふ安易な考へもあるが、現実に宗教・文化・価値観の違ひから起こつてゐる世界各地の民族紛争を理解できない日本人特有の単一民族的な感覚・発想であらうか。

身近な問題でありながら油断してゐるのが対米関係である。米国は、国内問題を他国、特に我が国に責任転嫁する悪い癖がある。その発端は、明治四十一年の移民自主規制の紳士協定であらう。人種差別に基づく排日といふ全く正当化できない問題を、自主規制とか紳士協定として処理できたといふ成功体験が、戦後の繊維交渉や自動車問題、さらに半導体でも生かされ、それは人事管理や内部留保にまで及んで、国際化の名のもとに日本人の長所・特性を否定してゐる。年功序列の背景には、礼儀や秩序を重んじる日本人の感性があり、内部留保には勤倹貯蓄が習慣化された日本人の体質がある。我が国の産業界は、原材料を輸入し製品化して輸出するといふ原点を忘れてはなるまい。

米国の産業を弱体化させたのは、産業の根幹である工場を安価な労働力に誘惑されて中国に移転した結果である。我が国も遅ればせながら、生産工場の国内回帰を図る時期に来てゐる。二宮尊徳や渋沢栄一の教へ、さらにその根底にある教育勅語まで思ひ起こす時期に来てゐるのではあるまいか。

尖閣も軽視してはならない。中国は海警の巡視船による領海侵犯だけでなく、今夏には尖閣の排他的経済水域内にブイを設置して日本の反応を窺つてゐるが、日本政府はこれまで通りの抗議で済ませてゐる。中国は、海上保安庁の実力行使を待つてゐるのか。それとも台湾への波及を期待してゐるのか。日米の覚悟も見てゐるのか。小細工が得意な中国のやりさうなことである。ここは米国としつかり協議して、武力紛争への拡大防止に配慮した慎重な対応が望まれる。来年も気の抜けない一年とならう。