9- 一般財団法人 日本学協会
                       

『日本』令和5年11月号

 中国高度経済成長のデフレ化

 今岡日出紀 /島根県立大学名誉教授


高度経済成長は続くのか?

一九七八年に開催された中国共産党の第十一期中央委員会第三回全体会議(全中会)で鄧小平の指導の下に、改革開放政策が打ち出されて以降、中国経済は一九八一年頃から二〇一九年頃までの長きにわたり年率一〇%の経済成長を実現したとされている。この高度経済成長が永遠に続くのだろうか。中国政府や国際諸機関は、二〇二〇年から二三年の間に起きた二つのショック(コロナ感染症に対する習近平による強権的ロックダウン、建設バブルの崩壊)の影響は短期的なもので、現在の混乱は高度経済成長経路からの短期的逸脱にすぎないと判断している。私は、このような議論に些(いささ)か異論を持っている。本稿では中国政府のこのような判断が正しいのかどうかを検討するために、経済成長率の時系列を分析し、観察してみる。

まず経済成長率の定義をしておきたい。本稿では経済成長率を国内総生産成長率(GDP成長率)と定義しておく。このように定義した経済成長率を一九八一年から二〇一九年の間で観察すると、成長率は必ずしも直線的に分布している訳でなく各々の分布の山が連なる山並みのようになっている。一九八一年から八九年までの期間に一つの山がある。この第一の山で、各年の成長率の平均は一〇・〇%であった。九〇年から九八年までの期間の第二の山で分布している経済成長率の平均は一〇・二%であった。九九年から二〇一九年までの第三の山の平均成長率は七・一%であった。この期間は二十年にも及ぶ長期で、頂点である二〇〇七年までの期間の上り坂分布における平均成長率は一〇・二%である。頂点の〇七年から一九年までの下り坂分布での平均成長率は七・九%である。

以上の分析から第一の山、第二の山、第三の山の登り坂面では何れも平均成長率が一〇%以上なので、一九八一年から二〇〇七年の期間における経済成長は「高度経済成長」状態であった。第三の分布の下り坂面は、緩やかな「弱いデフレーション」の状態にあったと言える。


高度成長期の制度枠組み

一九七八年に鄧小平は改革開放政策を提唱して、従来の社会主義経済体制を改革して、資本主義経済体制に作り替えることを提唱した。まず生産要素の私的保有を基本的に認めた。土地だけは国家が所有権を持ったが、資本も人々が所有することが可能になった。労働者も原則職業選択の自由が認められたが、農民だけは戸籍のある土地から自由に移動することが出来なかった。農村から都会に出稼ぎに行くことは可能であるが、戸籍を持って都会に移住して住み着くことは出来なかった。都会に住んでいても、戸籍を持たないが故に家を持つことも、子供を学校にやることも出来ないし、医療も保険も年金も対象外である。現在でも、この農民工と呼ばれる人々は二億五千万人いると言われている。

民営私企業制度が確立された。また国営企業の改革も行われ、外資系企業、民営企業、国家のいずれもが、国営企業に資本参加が出来るようになった。従来、外資系企業は中国国内での生産活動の場を深圳、珠海、厦門、スク頭などの特定の地域に限られていたが、やがて国内各地域に広く開放され、沿辺(辺境)とか沿江(揚子江流域)まで拡大開放されるようになった。

銀行制度、証券市場、外国為替制度も設立された。当初は固定為替制度であったが、やがて複数の外国通貨と人民元と交換する変動為替制度になり、一九九五年には米ドルペッグの変動為替制度に落ち着いた。


高度経済成長のメカニズム

先に示した中国高度成長のメカニズムを牽引した経済変数は輸出と投資である。解放政策による自由化により、広大な世界自由貿易市場が中国に向けて開かれた。中国は労働豊富国であったので労働集約的軽工業製品から輸出が拡大した。委託加工に始まり、繊維製品、繊維織物、繊維等を日本等の外資系企業が中国本土で生産し輸出した。家庭用電子・電気製品、加工食品なども外資系企業によって中国内で生産され輸出された。その後、輸出工業品は造船、鉄鋼、化学製品、石油製品などの重化学工業品へと移り、現在では通信工業品、自動車、コンピューター等の電子工業品等の製品も輸出されている。多国籍企業のサプライチェーン(供給の鎖)の寄留国の一つとして、中国が選ばれることも多かった。従って、サプライチェーンを通じての輸出も多くなった。

第三の山の成長率の下降期は、経済成長率が正の範囲で低下していると言う意味で、経済成長率が負となる強いデフレーションと区別して、弱いデフレーションと呼ぶことにする。この弱いデフレーションのメカニズムを分析するために、国内総支出(GDE)の構成要素ごとに分析することにする。

輸出額と輸入額の差は純輸出としてGDEの構成要素として中国では扱われている。これは純輸出が総需要に占める重要度を示している。弱いデフレの時期(二〇〇八年―一九年)におけるGDEに占める純輸出の割合は七・六%から二・五%の範囲内で変動しているだけなので、総需要にプラスの変化を与えてはいるが無視しても差し支えない。

中国の統計書では全社会固定資産投資は在庫と固定資本を含む概念である。この全社会固定資産投額を観察すると、年あたり伸び率は〇三年から〇九年の間では三〇%だったが、二〇年には〇%まで下落している。しかし、GDE(国内総支出)の拡大に負の効果をもたらしてはいない。

民間消費については信頼に足るデータがないので、GDEに占める民間消費支出の比と政府消費支出の比を参考にして、消費支出の動向を類推することにする。二〇〇一年から二〇〇五年の期間における民間消費支出と政府消費支出がGDEに占める年平均比率を算出し、それぞれを前期の比率とする。さらに二〇一六年から二〇二〇年の期間についても前期と同様に、民間消費比率と政府消費比率を算出し、それぞれを後期の比率とする。前期と後期の民間消費比率を比較すると、民間消費の年平均比率は前期から後期にかけて大幅に低下している。しかし、政府消費の比率は前期と後期でほぼ変わらない。このことから民間消費と政府消費を加算した最終消費は国内支出以上に増加率を低下させたと推論できる。

以上の分析から、つぎのような結論を得ることができる。総需要の主要な構成要素である消費支出と全社会固定資産投資の両方とも〇八年から一九年に至る期間において伸び率が低下はしたが、マイナスにはならなかった。純輸出は規模が小さいので、GDEの変動に対してはその影響は無視できる。

GDPが減少すると言う意味でのデフレーションは起きなかったが、GDPの年々の成長率が正で低下すると言う意味での弱いデフレーションは起きていた。

二〇二〇年後の中国経済を語るには、二つの点に留意する必要がある。まずコロナウィルス感染症の蔓延(まんえん)に対する習近平政府の強権的な対処である。消費者の将来展望に与えた負の影響、外資企業の投資環境の評価に与えた影響は甚大である。二つ目は、住宅建設バブルの破裂がもたらした金融部門に与えた影響である。これらが処理されなければ弱いデフレがさらに深化するだろう。