『日本』令和5年10月号

十月号巻頭言 『東照宮(徳川家康)の「遺訓」』 解説

この遺訓は、天保元年(一八三〇)尾張藩儒医深田香美編『天保会記』に「こころのいましめ 水戸黄門公御作之由」として引載される文言と殆ど合致する。しかも、それが同十五年に松本薫斎の書写した幅では、「神君御遺訓」と題されてゐる(徳川義宣氏論考、『金鯱叢書』九。昭和57年)。

もう一例は、晩年の家康が秀忠正室お江ごうに宛てた書簡で、「幼少より物事は自由にならぬ事、能よく能よく心得申したき事に候」と「我侭」を誡めた点など、「遺訓」に類似する。

徳川家康(一五四三~一六一六年)に関しては、平泉澄博士が『少年日本史』で「苦労に苦労をかさねて辛抱して来た」ゆえに、「遠い将来まで見通して、いかなる危険に対しても、あらかじめ防備を考え、永久の安全を計った家康は、正に深慮遠謀の人」と評されてゐる。

また、「遺訓」は、幕末に大坂で「石門心学の教本」として弘められ、明治時代に、徳川慶喜も揮毫してゐる(茨城県立歴史館「一橋徳川家記念室」所蔵)。ただ、今では家康当時のものではなく、後人の仮託とも言はれる。

(所 功)