『日本』令和8年7月号

七月号巻頭言「招魂社」解説

巻頭の文章は小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)の最晩年、明治三十七年、日露戦争の開戦後数か月の頃に記された一節である。八雲は母の生地ギリシヤ神話に強い関心を抱き、ギリシヤ・ローマの古代家庭生活にみる敬神崇祖の精神生活に憧れ、来日のきつかけの一つは、B・H・チエンバレン訳『古事記』を読んで感銘したことにあるといふ。日本に来て、その古代的なものがそつくり生きてゐるのに驚喜し、日本に帰化して、自ら触れた自然崇拝や祖先祭祀の実態、農村社会を支へる共同体精神、庶民の高い道徳的資質を鋭い感性によつて捉へ、世界にも紹介した。

招魂社は嘉永安政より戊辰の役に官軍(朝廷側)として戦ひ、維新の実現に仆(たお)れた英魂を慰霊するため、明治二年、天皇の聖旨により東京に招魂社が創祀された。各藩でも国事に殉じた義士を招魂する社(やしろ)が設けられ慰霊祭が行はれた。東京の招魂社は同十二年には靖國神社と改称せられ、各県等の招魂社は昭和十四年に護国神社と改称された。国体を護持する上で、歴史的貢献を果した忠臣義士を祭神として祀(まつ)り全国民崇拝の対象としたことは、明治神道の顕著な特徴である。前記のチエンバレンは、明治の官僚政治家たちが忠君愛国教なる新宗教を発明したと難じたが、八雲の眼は、今まさに国運を賭した戦に生命を捧げようする庶民の心を捉へたものである。 (清水 潔)