『日本』令和7年6月号
巨大共産主義国の大変革(上)― ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊とその後 ―
吉田和男 京都大学名誉教授
社会主義経済体制の終焉
二十世紀末に、世界史に残る二つの大きな変革があった。一つは一九九一年のゴルバチョフ、エリツィンによるソ連崩壊であり、もう一つは一九七八年の中国の鄧小平による経済体制の改革であった。共に社会主義経済体制から資本主義経済体制への移行であった。
ソ連の共産党一党独裁は崩壊し、ロシアになって民主主義国となる。ただ、本論で述べるように共産党独裁からプーチン独裁に代わる。中国では共産党独裁は強化され、その下での資本主義経済となる。マルクスの唯物史観によれば、歴史は資本主義経済の矛盾から革命が起こり社会主義経済体制へ移行するはずであったが、全く逆のことが起こった。
ソ連経済の実態
筆者は、一九九一年の共産党・軍部・KGBによるクーデター未遂のゴルバチョフ軟禁事件の直後に、一週間ほどソ連に滞在した。ソ連政府は機能停止になっていたためソ連の官僚と話すことはできず、大使館の方にモスクワを案内してもらい、話を聞くことができた。
そこで目にしたのは社会主義経済の矛盾を示すものであった。まず目についたのは、平日の昼間にモスクワ市内の中心部に人があふれていることであった。通常なら働いている時間のはずであるが、買い物をしているらしい。ソ連で買い物をするのは大変なことである。憲法で休息権が規定されているので、日曜日は商店もお休みのようだ。そのために、休暇を取って買い物をしなければならないらしい。
また、店では行列を作って買い物をしなければならない。「八時間労働、八時間睡眠、八時間行列」という話を聞いた。実際、マクドナルドでは、大きな公園に想像もできないほどの大量の人が行列を作って順番を待っていた。マクドナルドで食事をするためにお弁当を持って行くらしいと言うジョークを聞いた。実際、それぐらいの行列である。一般の商店でも行列である。しかも店員はおしゃべりに夢中で、お客のことなど気にしていない。まさに、「売ってやる」という感じである。
また、建物や自動車の老朽化には驚いた。モスクワはまだしも、郊外のポツダムに行ったときは、まるでゴーストタウンであった。専門家からは、工場の設備も老朽化しているという話を聞いた。
マルクス経済学の労働価値説では資本は間接労働なので、減価することはない。資本主義国の様に設備等の減価償却を損益計算書やバランスシートに計上して更新投資をするという発想がないようだ。従って、資本は物理的に壊れるまで使われる。
また、都市計画でも集中管理することが効率的として、例えば、暖房は役所が集中管理をして、各戸に水蒸気を供給している。各戸には暖房を調整する弁がないようで、一旦、暖房が始まると部屋が熱くなり、適温にするために窓を開けて冷気を入れるという。ロシア式空調法だという話を聞いた。各所にある機器類はやたらとごついものが多い。地下に埋設するパイプの工事を見たが、パイプの厚さにも驚いた。要するに利潤を最大にするように原料・材料を節約して、経費を最小にして生産するという発想がないようだ。与えられたノルマを達成するためにできるだけ手間のかかることを排除しようとするようだ。
専門家の話では、コンピューター生産の最終工程は鉛を巻くことだという。ノルマが重量でくるので、できる限り重いコンピューターを作るためだという。要するに、これらは全て計画経済のためである。資本主義国の様に経済合理性を考えて生産する仕組みになっていない。この様な明らかな無駄な生産が行われていた。
さらにソ連の国家収入は国民に対する課税ではなく(少しはあるが)、国営企業や国営農場などの剰余金なので、共産党は国民に遠慮することなく、自由に国家資金を使える。剰余金も労働者の賃金を国が決めることになるので、計画経済の中で自由に決められる。これを国民福祉、設備投資、軍事費などに共産党の方針に従って、配分することになる。当然、軍部は共産党内の大勢力であり、米ソ対立もあったので軍事費が多額に支出されることになる。ピーク時にはソ連の軍事費はGDPの一七%にもなっていた。その分、国民生活は貧しくなり、設備投資は減り経済を弱体化させていた。
ゴルバチョフの改革
話は遡る。一九八五年にソ連共産党総書記長にゴルバチョフが就任。ソ連経済の改革のためにペレストロイカ(立て直し)とグラスノスティ(情報公開)を始め、ソ連のそれまでの政策の大転換を図った。
ソ連経済はマルクス経済学を基礎にした計画経済であった。資本主義国の様に市場での調整がないので、ゴスプラン(中央計画局)が共産党の方針に従って商品ごとに生産額を計画して、それを各階層でのノルマを定めて生産する。ソ連滞在時にゴスプランも建物だけを見てきたが、巨大なものであった。
社会主義経済については、ノーベル賞受賞のハイエクなどによる社会主義計算論争がある。彼らは、社会主義経済は整合的な生産計画を、計算することが不可能であることを指摘していた。要するに生産量を消費から計算して行くのは不可能なので、共産党の方針に従った生産計画をゴスプランが作成し、国営企業に生産額を指示する。それに必要な材料を生産するノルマを計算しなければならない。これを整合的に計算するのは不可能なので、計画担当者は、各企業と交渉しながらノルマを決めて行くしか方法がない。従って、あるところで生産が過剰になり、あるところでは不足することが生じることは避けようがない。
マルクス経済学では、商品の価値は投下労働力で計られるので、何を作っても労働価値があるので、何をどれだけ作るかは関係がない。市場での需要と供給が等しくさせるようなメカニズムがないので、需給を一致させるように計画を作るのは不可能なのである。
一方で、生産を拡大させるノルマを各企業は達成しなければならないので、実際にできなくても、できたと報告せざるを得ない。計画当局は各企業の報告に基づいてノルマを決めるので、過大なノルマを課すことになる。従って、実際の生産と計画は一致せず、ノルマが達成されることもなくなる。しかし、この矛盾を解消することはできないので、ノルマは達成されたとされる。これらの事情は秘密にせざるを得ない。
ノーベル賞受賞のハーウッツなどは、この種の計画を立てることは不可能であることを数学的に証明している。ゴルバチョフが現場を視察した際、「報告、報告は聞き飽きた」と怒りをぶちまけていたのも容易に推察される。ゴルバチョフがグラスノスティを始めたのも、経済運営一つを取っても、秘密主義で行われてきたことに対する怒りであったのであろう。
ソ連時代の経済力は統計が不十分でよくわからないが、ソ連崩壊直後の一九九二年のロシアのGDPは世界三十六位で、イスラエルやコロンビア並みの弱小な経済力であり、一人当たりGDPは世界百二十九位であり、中央アフリカやブータン並みの貧困国であった。ドル建てでの比較であり、経済の混乱からルーブルが下落した面もあるが、実際に、ソ連経済は破綻していた。
ウィンストン・チャーチルの名言として知られている「資本主義の欠点は、富の不平等な分配にある。社会主義の美徳は、貧困の平等な分配にある」というのは現実であった。この経済力で原子爆弾やミサイルでアメリカを凌駕する軍事力を持ち、国際共産主義運動として世界に多数の共産主義国を作り、多くの国の共産主義運動を支援していたのであるから驚きである。
国民の犠牲は当然のこととして、東欧諸国をCOMECON(経済相互援助機構)に加入させて計画経済として国際分業を行い、交易条件はソ連が自由に決められるので東欧の経済成果はソ連に移転されていた。
国民の犠牲の典型例として、一九三二年から三三年にかけての「ホロドモール(ウクライナ語で飢えによる抹殺の意味)」がある。スターリンが富農の粛清による集団農場化を行ったことから穀類が不作となる。そこに、急速な工業化を進めるために、ウクライナの穀物輸出が重要な外貨獲得の手段であるので、不作にもかかわらず穀物の強制的徴発を行ったことから、ウクライナで飢饉となり、人口の二〇%が餓死した。
ゴルバチョフがペレストロイカを行ったのも破綻している経済を立て直すためであった。一九八七年に国営企業法を作り、独立採算制、資金の自己調達制の確立、赤字企業の閉鎖・倒産の容認、契約者間の交渉による価格決定、卸売市場の承認、企業管理者の複数候補制による選挙、労働者の企業経営への参加など社会主義経済に市場メカニズムを取り入れた。一九八五年に外交政策の転換で、レーガン米大統領と軍縮を決めたのも軍事費への支出を減らすために必要であった。また、税制を確立して国家財政の基盤を作った。これらは次に述べるクーデター未遂事件の要因となった。
ソ連の崩壊
ソ連の崩壊は、一九九一年八月に共産党・軍・KGBがクーデターを企て、ゴルバチョフ大統領を別荘に軟禁したことから始まった。
ゴルバチョフはクーデター首謀者を逮捕して、ソ連共産党総書記長を辞任し、共産党中央委員会の自主解散を求めた。ソ連構成共和国で独立の機運が高まり、バルト三国とジョージアは独立し、ウクライナが国民投票で九〇%以上の賛成で完全独立としたために、ソビエト社会主義共和国連邦の解体が確定的になる。
後にロシア連邦の大統領になるエリツィンは、一九九一年のロシア共和国大統領選挙に勝利して、ロシア共和国の初代大統領となる。エリツィンは同年十一月にソ連共産党系のロシア共産党の活動を禁止した。十二月八日にエリツィン大統領はウクライナのクラフチュク大統領、ベラルーシのシュシケビッチ最高会議議長と会談し、三ヶ国のソ連からの離脱に合意した。十二月二十一日にこの三ヶ国に加えて、既に独立を決めていたバルト三国、ジョージアを除く八ヶ国がソ連からの離脱を決めたアルマイト宣言に合意した。そこでソビエト社会主義共和国連邦には加盟国がなくなった。ゴルバチョフはソ連大統領を辞任する。
そして、ソビエト社会主義共和国連邦は、十二月二十五日に崩壊した。また、世界の共産主義政党の総本山であるソビエト連邦共産党は解体された。
エリツィンによる改革
ロシア共和国大統領のエリツィンは、ソ連崩壊を受けてロシア連邦大統領となり、IMFやジェフリー・サックス・ハーバード大教授等の助言を受けて急進的な資本主義経済への転換を図った。
国営企業を株式会社とし、国民に株式を配布した。これをタダ同然で集めた旧国営企業の経営者などが、オリガルヒ(新興財閥)を形成する。特に、エリツィンに近い者に国有財産を渡すなど、政治の腐敗を招いた。財政制度が確立していなかったために国債を乱発し、激しいインフレやルーブルの下落を招いた。
国民からは不評となり、一九九六年の大統領選挙でも一回目の選挙では過半数をとれず、二回目の選挙では五三・八%の得票で当選する。一九九九年にエリツィンは自らの汚職を捜査していた検事総長を解任し、後任にKGB出身のウラジミール・プーチンを任命してもみ消しを図り、大統領を退任する。
プーチンによる改革
エリツィンから後継者指名を受けたプーチンは、二○○○年の選挙で大統領に選出される。
プーチンはシロビキ(KGBの後身の諜報機関FSB、警察、軍出身者のこと)を使った脱税の摘発などで財政を再建し、経済混乱はエネルギー価格の上昇もあり解消されて、対外債務を返済し経済成長を遂げることになる。これによってプーチン人気は上昇し、次の大統領選でも再選され、プーチン独裁体制となる。
憲法の規定で三期目は再選できないので大統領をメドベージェフにして、自らは首相となるが独裁体制を続ける。四年後に大統領に選出されたが、憲法を改正して大統領の再々選以上を認めることとして、二○三六年まで大統領を続けることを可能にした。期限が来たらまた憲法を改正して、おそらく死ぬまで大統領を続けるつもりなのであろう。
ロシア経済は資本主義経済となり、大幅に改善して、二○二三年のGDPは世界十一位でカナダや韓国並みになり、一人当たりGDPは六十六位でアルゼンチンやメキシコ並みになっている。また、ロシアはウクライナ戦争のために経済停滞するが、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの頭文字)のリーダーとして、将来の経済成長が期待されている。ロシアはBRICSへの参加国を増やし、欧米に対抗する勢力とすることを狙っているようである。
ウクライナ戦争
二○一四年にロシアはウクライナのクリミア半島を占領し、ウクライナ東部に傀儡政権を作ってウクライナに内戦を起こさせた。二○二二年には全面的に軍事侵攻を行ってウクライナ戦争を始めた。
憲法を改正してウクライナの東南部四州をロシア領としている。国際連合総会でも圧倒的多数で非難されたが、ロシアは安全保障理事会の常任理事国であるため、国際連合は何もすることができない。アメリカを中心にNATO加盟国など多数の国々が、ウクライナへ武器などの支援を行うとともに、ロシアに対して経済制裁を行っている。戦闘は三年間、続いているが、戦争終結の見込みはたっていない。
なぜプーチンがウクライナ戦争を始めたかは、謎が多い。ウクライナは独立後、一九九五年に中立法を作っており、欧米とは一定の距離を置いていた。しかし、二○一四年に親ロシア派のヤヌコービッチ大統領がマイダン革命によって追放され、親欧米派のポロシェンコ大統領となり、NATO加盟を目指したことがウクライナへの侵略を始めるきっかけとなっている。NATOとの緩衝地域になっていたウクライナの存在は、ロシアにとって大きな存在であったのかもしれない。
ロシアの将来
プーチン独裁がいつまで続くかは分からないが、プーチンが死ぬまで続くであろう。二○二一年の世論調査で、歴史上最も偉いのは誰かという質問に対して、一位は冷酷な独裁政治を行ったスターリン。続いてレーニン、プーシキン(詩人)、ピョートル大帝、プーチンである。ロシア人は独裁者が好きなようである。
ロシアに民主主義を導入したゴルバチョフやエリツィンは忘れられている。事実、プーチンは「ロシア人は自由より秩序を望んでいる」と公言している。ウクライナ戦争については、ロシアは既に八十万人もの死傷者を出していると言われており、徴兵も限界に来つつあり労働力不足も目立って来ている。国内経済面でも限界に近付きつつある。ウクライナも徴兵の限界に近づきつつあり、支援国家の支援疲れが聞こえ始めている。いつまでも戦争するわけに行かないので、停戦になるであろうが、継戦能力の低いウクライナには厳しい条件が付けられるのは間違いないであろう。領土の割譲やNATO加盟の断念は避けられないであろう。ロシアは非武装化を求めるであろうが、それは無条件降伏と同じであり、主権喪失になるので、ウクライナは飲まないであろう。
また、ロシア、ベラルーシと国境を持つバルト三国、フィンランド、ポーランドはロシアの侵略を懸念しており、そのためにNATOに加盟している。バルト三国、ポーランドはNATO軍の駐留を受け入れている。ロシアはベラルーシと軍事面での協力関係にあるが、西欧寄りのジョージアやモルドバへの介入も狙う可能性もある。中央アジア諸国のカザフスタン、キルギスタン、キルギスはCSTO(集団安全保障機構)の構成国であり、ロシア圏ではあるが、トルクメニスタンとウズベキスタンは非加盟である。これらの国々は中国の一帯一路政策で経済関係を強化しており、現在はロシアと中国は協力関係を強化しているが、中央アジア諸国を巡って対立する可能性もある。今後のプーチンの動きには注目していかなければならない。
ロシア経済の将来
ロシア経済の動向を左右して来たものは、エネルギーと穀物の国際価格である。ウクライナ戦争での経済制裁で経済が停滞しているが、意外にルーブルの価値は維持されていた。これはウクライナ戦争でエネルギーや穀物の国際価格が上昇したことが大きい。トランプ米大統領がエネルギー増産を盛んに言っているのも、エネルギー価格の低下を狙っている。これはアメリカにおけるインフレへの対応であると同時に、ロシアへの経済制裁の実を上げる狙いもあるのであろう。
ロシアは資源大国で潜在成長力は高いと見られているが、ウクライナ戦争の長期化で戦費(二○二三年の軍事費のGDP比は六・七%でソ連以来の高水準)と経済制裁によって、経済は財政負担・赤字、労働力の減少、投資の減少、エネルギー輸出の減少(二○二三年の輸出は前年の三〇%減)、外国企業の撤退、必要な部品などの入手困難、技術の流入の制約、インフレーション、金利上昇(二○二三年の政策金利は一六%)などでかなり長期間、低迷が避けられない。