『日本』令和7年6月号
政治家の矜持に期待する
仲田昭一 /水戸史学研究会代表理事
政治家の劣化
国会において、自民党・公明党の政権与党が少数派となつた影響であらうか、このところ日本の政治に活力が見られない。令和五年暮れに発覚した自民党議員の裏金問題は、国民の信頼を大きく失墜させた。昨年十月の衆議院総選挙では、自民党が非公認候補者の支部に公認候補者の支部と同等の二千万円を交付した。これは、どう見ても選挙活動費であると見破られて総選挙の惨敗を決定づけた。「この時点での交付は正当化されない」との判断もできないほどに、自民党幹部は劣化してゐた。
一方の野党各党は、この総選挙において、「政治とカネ」の問題を批判はしたが、現実の生活難に喘(あえ)ぐ国民の悲鳴を受けて経済問題を表面に出し、各党間の差はあるがほぼ一定の国民の支持を受けたとして攻勢に出てきた。しかし、野党が結束して事を成すには至つてゐない。結集の中心となるべき野党第一党立憲民主党の野田佳彦代表は、四月二十三日に行はれた石破茂首相との党首討論においても、本気になつて石破内閣を打倒し、政権を奪取しようとの気概も迫力も感じられない。先の安倍晋三元首相への心身を震わす追悼演説のやうな、真摯な誠意と溢れる敬意の念、「政治家のマイクには、人々の暮らしや命が懸かつてゐる」との訴へはどこへ行つてしまつたのか。石破首相も野田代表も変に落ち着き、引き気味の姿勢には、国内外に山積する難問解決は「己(おの)が任である」との決意が見られず残念である。
国民生活のみでなく国家を論ぜよ
野党が多数派となつた政界の現実を直視して恐れることは、生活安定の基盤である国家の存立に関して、その基盤を確かなものにしようと懸命に挑もうとする根本姿勢に欠けてゐることである。政権維持や党勢拡大に汲々としてゐて、日本国家を担ふ政治家たらんとする決意も情熱も行動力も見えてこない。政治家は、何を以て国家国民を導かうとしてゐるのか。国会議員として何をやらうとしてゐるのか。常に自問自答に努める責務がある。国民は冷静に見つめてゐる。その結果は、世論調査に如実に表れる。NHKの四月の世論調査では、石破内閣の支持率は三五パーセント、不支持率は四五パーセントと、低迷してゐる。しかし、自民党の支持率は大きくは下がらず、他の野党各党とはかなりの差が出てゐる。国民は、自民党排除を望んではゐない。政権与党及び党員は厳しく自戒し、奮起せねばならない。同時に、与野党政治家は、他党の劣弱化を期待するのではなく、自らの強靭化に努め向上を志してほしい。夏の参議院議員選挙を控へて、失点を恐れるやうな消極的姿勢であつてはならない。
静かに当世の様を見つめて見よ。外にはロシアとウクライナとの戦争、イスラム組織ハマスとイスラエルとの交戦。これ等の解決策は未だに見い出せてゐない。実に多くの戦死者を出してゐる現状は、悲惨この上ない。さらにロシアの北方領土への軍事施設拡充、習近平政権の台湾、尖閣諸島への脅迫が続いてゐる。韓国の竹島占領、北朝鮮のミサイル発射での脅し、トランプ大統領の狂気など、限りない。日本は、それらへのきちんとした対応が少しも進んでゐないし、解決しようとの決意も見られない。
内はどうか。国の根幹を正す憲法改正や皇室問題も遅々として進まず、国防意識の稀薄、夫婦別姓問題など深刻さを増してゐる。政治家の怠慢であり、改革への気魄不足でもある。これらの諸問題は、日本の先人たちが紡ぎ築き上げてきた歴史伝統と強靭な国家・国民、これを否定し分断崩壊させ、日本国家を潰滅させようとした占領政策に由来する。ここを正さずして、小手先の策をいくら弄しても解決にはならない。この根源を自ら認識し、問題の本質を見極め、勇気をもつて国民に訴へ、輿論を喚起し、解決に立ち向かはなければならない責務がある。当然、国民もそれを支援する覚悟を持たなければならない。これに果敢に挑んで、志半ばで倒れられたのが安倍晋三元首相であつた。
政治家の信念
ここに過去の二人の政治家を挙げておく。根本正と岩上二郎である。根本は茨城県選出の衆議院議員、岩上は参議院議員である。二人に共通する人生の指針は、キリスト教であり水戸藩二代藩主徳川光圀への敬慕の念である。政治家として果した業績は、根本には「根本法」と称された議員立法である未成年者飲酒・喫煙禁止法の成立があり、この法は今日も生き続けてゐる。根本は訴へた。心身ともに優れた青少年を育成することは、国家国民の使命であり、国家の興隆もそこにある。まさに、「若者は国の宝である」との信念であつた。特に禁酒法の成立には二十一年を要した。「酒に溺れ身を亡ぼす若者を出してはならない。何としても成立させなければならない」との堅い使命感を持つてゐたのである。
そして、若者の育成には、皆等しく教育を受ける環境を整へなければならないと、それまで有償であつた義務教育の無償法制化を実現させた。教育を受ける権利を平等に与へたいとの一心であり、これは米国留学で学んだ成果であつた。今日の教育無償化論議の発想と比してみる必要があらう。
岩上は、国会議員としてなすべき決意を持つてゐた。歴史的史資料の保存の重要性を訴へ、その実現に奔走した。その結果、遂に「岩上法」とまで称された公文書館法を議員立法で成立させた。これは、国立公文書館の設立となつて結実した。「彰往考来」は、水戸光圀の最も重んじたところである。歴史を忘れた民族は滅亡するとの強い信念があつた。岩上が企画した『茨城県史』編纂事業は、まさに光圀精神の継承であり発展であつた。根本と岩上の二人は、政治家としての強い使命感を発揚させて、偉大な業績を残した。政治家として、国家国民のために何を為すべきか、明確な目標を以て登壇したのであつた。今日において、政治家のみならず職域を超えて国民各自に求められてゐるものは、このやうな、深く且つ高い理想を抱きながらの日々の研鑽であり、実践への覚悟と勇気である。
また、この二人に共通する逸話がある。根本と夫人徳子は、大正五年(一九一六)二月十一日の天長節に、『大正帝御即位大典記念』の記念誌を自費刊行してゐる。岩上は、四選阻止を唱へて知事となつたが、四選出馬支持を周囲に懇願した。その意図は、次期在任中に開催する国民体育大会「茨城国体」にあつた。開会式に天皇皇后両陛下をお迎へし、その御前での開会宣言を是非とも自分に担はせて欲しいとの悲願と懇願であつた。政治家根本正も岩上二郎も、日本人として優れた尊王家であつた。日本の歴史の尊厳をきちんとわきまへてゐたのである。今日の政治家、果たして如何。
加へて、洗礼してゐた二人には、徹底した「愛」と「平等」、「弱者への眼差し」があり、それに向かつて実践していく「胆力」と「信念」とがあつた。確かな精神的支への無い政治家は、「柔弱」であり、「自己中心」であり、「傲慢」である。私共も無関係ではない。心したいものである。
最後に、根本正が称へた高級官僚を紹介しておく。明治四十四年(一九一一)、根本らが建議した水郡線敷設案が通過した結果、当時鉄道省の課長職にあつた石丸重美(元臼杵藩士、後に鉄道次官)は、直ちに沿線調査のため水戸へ出張。視察出立の朝は降雨であつた。根本は人力車夫に幌をかけるやう命じた。石丸は曰(いわ)く、「道中四方の実況を視察することなれば、いかなる大雨と雖も幌をかけるに及ばず」と。恰(あたか)も軍人と同じく用意の雨具をつけ出立の有様を視たる時は、昔日、旅順の大戦ありて乃木将軍を思ふが如く、鉄道敷設の大戦ありて石丸君の決心を推知したと根本は感嘆、感謝したのであつた。
その任に当たる者は、須(すべか)らくこの至誠を以て一貫したいものである。我々国民も当然のことである。